「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」を読んで。

休日の午前中、

ずっと本屋で見るたびに気になっていた「大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした」を読んだ。

著者さんの「幸せに生きるための哲学」が詰まっている本だった。

本のなかに

人間関係が苦手な人は他人に自分のいい面だけを見せようとする。そのため、相手にもいい面だけを見せてほしいと望む。

とあって、ドキッとした。

私は、あまり人に愚痴や弱音を吐かないし、周りの人からは「ポジティブで前向きな人」だと思われてると思う。

たしかにそれも嘘ではない。

ポジティブな面も確かにある。けれど、ネガティブな面もけっこうしっかりある。

でも、可愛げがないだろうけど「人に話したところで解決しないし」と思ってしまうんだよな。

ネガティブな部分はいつも自己解決してしまう。

愚痴や弱音を吐いたら優しい言葉をかけてもらえるかもしれない。

そういう人は優しくて好きだし気持ちは本当に嬉しい。

だけど、私はその場で優しい言葉をかけられたときに「そうやって言ってもらえるなら私は大丈夫だ😊」と思えるような人間じゃない。

実際に悩みが解決したりなにか変化がないと心から安心できない。

人に相談しようが「実際に動いて解決するのは自分だしな」と思ってしまうし

愚痴や弱音を吐いて誰かに気を遣わせるくらいだったら「フラットな自分」を見せて平和な人間関係を保ちたいと思ってしまう。

だから、人に気を遣う余裕ももてないほど弱っているときは「誰とも会いたくない」と自分の殻に閉じこもってしまうんだよね。

このスタンスの弊害として、自分的にあまり良くないよな〜と思っていることが、

愚痴や弱音ばかり吐く人に対して、優しい言葉をかけつつ心の隅の方で

「なんで自分自身の問題を人に背負わせて解決してもらおうと思ってるんだろう」

と、思ってしまうこと。

弱っている人を見て心配の気持ちが湧くのも本当。でも心の裏側にそういう気持ちも同時に湧いてしまう。それは口が裂けても言わないけど。

不機嫌を撒き散らす人に対してもすごく冷めた目で見てしまう。

「なんで人を感情のゴミ箱みたいに扱い、自分の機嫌を自分でとろうとしないんだろう」って。

私ってたぶん、「人との心地よい距離感」が周りの人からみるとかなり遠いんだと思う。

だから負の感情むき出しで振る舞う人に対してどこか冷めた目で見てしまう。

人に「優しいよね」って言ってもらえることが多いけど、そのたびに「本当は優しくないんだよ⋯⋯」と思ってる。

fujiko

はじめまして。フジ子です。
はてなブログから引っ越してきました。
日記や好きなこと、ふと思ったことを記録しています。
よろしくお願いします。

fujikoをフォローする
読書記録。
fujikoをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました